映画『糸』

about the movie
Production notes
映画の成り立ち
 これまでに120組を超えるアーティストにカバーされ、ウエディングソングランキングでも長年上位に位置するなど、発表から約20年が経った今も人々に愛され続ける、中島みゆきの代表曲の一つ「糸」。この名曲からインスパイアされた作品を作ろうと、平野隆プロデューサー(『8年越しの花嫁』など)が映画化企画を立ち上げたのは2015年のこと。普遍的で地に足の着いた歌詞だけに、実話が合うのではとエピソードを探した時期もあったが、試行錯誤の末、オリジナルストーリーで制作することに。
 平野プロデューサーは、度々タッグを組んでいる脚本家・林民夫(『永遠の0』『チア☆ダン』ほか)と脚本について話す中で、平成の約30年間を舞台にしたラブストーリーにすること、登場人物たちの“糸”が切れたり繋がったりしながら縦糸と横糸のように交差していく群像劇にすることなどを決めていった。主人公の男女は、どこにでもいる市井の人々を描くこととし、役名は平成の時代に多くつけられた名前の一つである“漣”と“葵”に決定。「糸」に綴られた「遠い空の下 ふたつの物語」を漣と葵の設定に活かしつつ、作品の肝としたのは「織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない」という部分。歌詞に寄り添いながら、平成の社会的な出来事も組み込みながらストーリーを練り上げていった。たとえば、葵の職業は平成の人気職業(キャバクラ嬢、ネイリスト)とし、平成と言えばマネーの時代ということで若き社長・水島のキャラクターを設定。リーマンショックや東日本大震災なども登場人物たちの日常に襲い掛かる。時に挫折し、悲しみ、苦しみながら、どの登場人物も前を向いてひたむきに生きている。それぞれの“仕合わせ”を探しながら−−− 。「この映画では登場人物たちの出会いと別れが交錯し、同時に喜びと悲しみが交錯します」と平野プロデューサー。「一つ一つの糸は、切れることもありますが、また何かでつながっていくこともある。それが人生だと思うんです。最後に何かにつながり、それを人は仕合わせと呼ぶ。そこに到達するために、日々を一生懸命生きる人たちの物語を作りたかった」と語る。
東京編
 本作の撮影は、季節の移ろいも映し取るべく、2019年夏~秋にかけてと冬に行われた。漣を演じるのは菅田将暉。葵役に小松菜奈。平野プロデューサーは本作のキャスティングについて、「キャスティングは役柄との親和性のみを追求しました。菅田さんは、人気・実力ともに今ナンバー1の役者。お芝居はもちろん人間・菅田将暉も誠実な方で、役にぴったりでした。小松さんとは何度もご一緒していますが、これまでの日本人女優にない雰囲気を持った人。色がついていなくて純真無垢な、独特の魅力のある女優さんです」
 7月中旬、千葉県のとある結婚式場にて撮られたのは、20歳の漣と葵が、東京で開かれた幼馴染の結婚披露宴で約8年ぶりに再会するシーン。披露宴会場には、60人以上のエキストラが招待客として座り、先に席に着いているのは、葵が来ると聞かされドキドキしている漣。そこに漣がいるとは知らない葵が入ってきて、かろうじて目線が合う程度に離れた距離の席に座るというカット。心地よい緊張感の中、リハーサルがスタート。瀬々監督は漣の表情を見たり、漣の側から葵を見たりと動き回りながら、撮り方やアングルを検討し、菅田小松に視線を交わすタイミングなども緻密に演出していく。夜には、披露宴会場のテラスにて漣と葵が言葉を交わすシーンの撮影を行い、ここでも監督から細かな仕草や間の取り方、視線の演出があり、テイクを重ねていく。特に微妙なニュアンスの演技を求められたのが小松。平野プロデューサーは言う。「葵の表情一つで物語が大きく変わるんです。ですから、その強弱は瀬々監督も僕も一番気にかけていたところで、小松さんにはとても難しいことを要求しましたし、彼女も試行錯誤していたと思います」。こうして主演二人の共演初日が終了。菅田が「まだ全員がチューニングしている感じでしたね。でもワクワクしてます」と言うように、キャスト・スタッフが丁寧にワンカットワンカットを紡いでいく様が印象的だった。
 翌日、東京タワーの見える芝公園で撮影されたのは、パーティから去った葵を漣が追いかけて行くシーン。本番やテストに備える菅田は絶えずジャンプしたり、軽快なフットワークを見せたりしながら体を動かし続けている。いざ本番。息を切らしながら葵に声をかける漣を自然にリアルに演じる菅田。髪を切り体重もおとしました。20歳の少年っぽさも見事に表現している。一方、心の内を隠して笑みを浮かべ、「漣くんと会えてよかった。じゃあね」と言って手を差し出す葵=小松の表情ははっとする美しさ。その手を握れてなかった漣は、葵が高級車に乗り込み走り去るのを見送り立ち尽くす……。葵を高級外車で出迎えた彼氏・水島斎藤工が大人の魅力たっぷりに演じ、漣の落胆を際立たせた。
北海道:夏編、秋編
 本作のメインの舞台となるのは、中島みゆきの故郷でもある北海道。関東近郊での撮影を終えた瀬々組は、7月下旬に北海道での1回目の撮影を行った。函館空港での漣と葵の別れのシーンは、すべての発着便の運航が終わった後、夜の8時から、空港の建物を借り切って行われた。100人ほどのエキストラが動員され、リアルな空港の雰囲気が再現されている。
 搭乗客と見送りに来た人がガラス越しにお互いを見ながら受話器で会話できる「もしもしコーナー」は実際に函館空港にあるもの。ロケハン時に、瀬々監督が演出に使うことに決めたとか。搭乗口に向かう葵に、受話器を取るよううながす漣。つかの間の会話の後、「さよなら、漣くん」と受話器を置き、振り返らず歩き出す葵。小松はリハーサルの段階から既にぽろぽろと涙を流していた。
 この「もしもしコーナー」は、監督と逆側にいるキャストに演出を伝える際にも使われ、「さよなら、葵ちゃん」とつぶやく漣のカットでは葵側にいる監督がガラスの向こう側にいる菅田に、「ほんの少しだけ力が入りすぎているかな。微妙な所なんだけど、もう一回やらせてください」と受話器を使って指示したりも。そのほんの少しのニュアンスを求めて、テイクが重ねられていった。一方、空き時間には、空港の顔はめパネルで笑顔で写真を撮ったり、「もしもしコーナー」で普通に会話を試してみたりする菅田小松。現場の雰囲気はとても良い。
 そして翌日、朝の7時からリハーサル開始で、入舟漁港(函館漁港)にて撮影されたのは、母の死を知った葵が漣に思いをぶつけるシーン。このシーンでもリハーサルから涙・涙の小松。監督は現場を動き回り、最高のアングルを探っていく。気合たっぷりの「ヨーイハイ」の監督の掛け声で、気持ちのこもった演技を見せる菅田小松。菅田と監督が、漣の葵を抱きしめる動きはどれがいいかと真摯に話し合う姿も。漣と葵のやりとりが切なく、甘酸っぱく、どこまでも見ていたい魅力的なシーンが生まれていった。
 そして9月に撮影された秋の北海道編では、漣と子供たちのシーンが多く撮られた。初めて子供がいる父親役を演じることになった菅田だが、現場では積極的に子供たちに接し、だっこしたり、遊んだりして、すぐ仲良しになり、お父さんを自然に演じていた。菅田はこう語っている。「子供を持つ役を初めてちゃんと演じて、すごく新鮮でした。子供って嘘がないから、こっちも引っ張られてどんどん自分でも予期せぬ気持ちになっていく。でも生きてると大体そうだよなって。自分が用意していた感情になることはないから、役者としてもハっとさせられました」
 9月には他に、函館の病院で、榮倉演じる香が、この映画のテーマでもある、「人との縁」について漣に切々と話をするシーンも撮影された。香を演じ切るため、1か月で7キロも減量し、このシーンに挑んだ榮倉。菅田は、香を車いすからベッドへ移す際、榮倉のやせた肩からパキッと音がし、香が壊れてしまう!と本気で思ったそうだ。途中、監督が榮倉に「女神のような気持ちで演じてください」という指示があり、その芝居を面と向かって受けた菅田は、カットがかかっても「すごいよ、あんな表情見たら泣いちゃうでしょ!」と涙が止まらない。出来上がったシーンはこの映画の中でも最も重要なシーンの一つとなった。
沖縄、シンガポール編
 中学時代、「将来は(サッカーの日本代表になって)世界で活躍したい」と言っていた漣が、大人になっても北海道にとどまり、チーズ工房で働く一方、「普通の生活がしたい。世界になんか行けなくていいから」と言っていた葵が東京、沖縄、そしてシンガポールで暮らすことに。
 小松のクランクインは、東京編より前に撮影された沖縄のシーンからだった。梅雨が明けたばかりの沖縄にて、二日間の撮影を行った。
 今帰仁の村民の浜では斎藤工がクランクイン。水島が一人で釣りをしているところに葵がやってくるシーンでは、水島用に麦わら帽子と笠帽子が用意されていたが笠帽子に決定。海辺の風景にすっかりなじんでいる。小松とは初共演だが、カットを重ねるごとに二人の親密さの表現が増していく。撮影の合間には今回の現場でキャストのオフショットを撮っていた斎藤小松を撮影したりも。
 翌日は、本部町備瀬の民宿をお借りして、葵が水島に思いを馳せるシーンを撮影。水島の部屋は素敵な装飾で彩られ、札束が無造作に置かれている。その後、備瀬の並木通りで葵が歩くシーン。スタッフは空き時間に、見つけると仕合わせになるとの言い伝えがあるフクギのハート型の葉っぱを探したり、偶然イリオモテヤマネコらしき猫の撮影に成功したりと沖縄での撮影を満喫。そして最後は、墓の前で沖縄の先祖供養シーミーが行われているシーンの撮影。地元のお墓を借り、エキストラの方々にスピーカーから流れてくる音楽に合わせて踊ってもらい、小松斎藤が参加する。リハーサルにて、2人の踊りを見たエキストラの方から思わず拍手が巻き起こる。本番が始まると、瀬々監督も気合が入り、「ヨーイハイ」や「カット」の声が大きくなっていく。小松は空き時間に、炎天下の中で頑張った小さい姉妹に靴を履かせてあげたり、手持ち扇風機で風を当てて話しかけたりしていた。
 アジアで最もエキサイティングな都市として撮影地に選んだシンガポールでのロケ撮影は8月末から9月頭にかけて1週間ほどで行われた。マーライオン、シャングリ・ラ ホテル シンガポールなどの観光地を含め、様々な場所で撮影。
 小松が泣きながらカツ丼を食べる姿が印象的な日本食屋のシーンは、シンガポールの中心部から少し離れた団地の一階に実在する日本食屋で撮影。半屋外のフードコートで、実際に「糸」をスピーカーで流し、地元の人もたくさんいる中、行われた。カットを重ねるたびにカツ丼を食べながら涙を流す小松を、モニターごしに集中して見つめる監督、その雰囲気から日本スタッフも、現地スタッフもみな真剣な眼差しになる。監督のOKが出ると、自然と拍手が沸き起こり、小松が目を潤ませながら「撮影を乗り切れたのは日本とシンガポールのスタッフの皆さまのおかげです」と挨拶。現場全員が感動のシンガポールオールアップとなり、集合写真を撮り終わった後も、みな再会を誓い合ったり、お互いの頑張りをねぎらった。
北海道:冬編
 北海道での冬編は12月半ばより撮影が行われた。漣が働くチーズ工房のシーンを撮る幕別・NEEDSでは、夏も秋も撮影を行っており、ここに来るのも3度目。雪景色を撮るはずが、暖冬で雪が少なく、スタッフは他の場所から雪を運んできて増やさざるを得なくなった。
 チーズ作りのシーンでは、スタッフも靴カバー、ヘアキャップ、白衣を着て入室。3カ月弱ぶりに漣を演じる菅田は、作業過程の説明を一通り聞くと、自然な手つきでチーズを扱い、漣の日常を演じていく(チーズ作りの工程については、千葉のチーズ工場で練習していた)。ちなみに同僚役の中には、このチーズ工房の実際の社員の方も。
 その後、工房内で、漣と香が心を通わせるシーンの撮影。秋に撮影したシーンでは体重を大幅に減らして、香役を演じていた榮倉奈々。相変わらずスリムではあるが、体重を戻し、元気だったころの香をチャーミングに演じている。香がどんぐりを投げて漣を呼び止めるカットでは、菅田がどんぐりを上手くキャッチしてしまい、話し合いの末、NGに。受け取るのではなく、落ちて転がったどんぐりを漣が拾うことになった。漣の「仕事はちゃんとやります」のセリフでは、北海道弁の「ちゃんと」のイントネーションを方言指導のスタッフに確認する菅田。その後、10年付き合った彼氏と別れたと言い涙ぐむ香に、中学の時の恋がいつまでも続くわけないという漣。「しっかりしろや!」と香にはっぱをかけるカットでは、リハーサルにて、「しっかりしろや!」をいろんなパターンで試す菅田の姿があった。
 菅田がクランクアップしたのは、その数日後。「今はまだわからないですが、きっと振り返ったときに、『あのとき、『糸』を撮っていたな』って強く印象に残っている作品になっていると思います。みなさんのおかげです。本当にこの出逢いをありがとうございました!」と充実感たっぷりにスピーチ。一方、すでに撮影を秋に終えていた小松は、クランクアップの際に、「本当に濃い、濃すぎるほどの思い出がたくさんあります。葵という女の子を演じるのがすごく楽しくもあり葛藤する部分もありましたが、本当にいいスタッフさんとキャストの方々とご一緒できて、葵を演じられて良かったなと思います」と作品への愛を語っていた。長期にわたる撮影はスタッフ・キャストの拍手と清々しい笑顔で締めくくられた。
撮影協力